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<正見>は、八正道の一番目に置かれています。八正道の残りの七つを修行するための基本とされています。いいかえれば、八正道を実践するには、正見がかかせないということです。 <正見>は八正道のひとつですから、<正見道>ということができます。 単に「正しい見解」というのではなく、苦を滅するための『修行』です。 一般に、「見解」といわれれば、物事を観察した結果としての見解を思い浮かべます。 いわば完了形です。 一方、「修行」といえば、現在進行形であって、完了形ともいえる「見解」とどう結びつくのかという疑問があります。 「八正道が、よくわからない」という原因のひとつと考えます。 『修行』としての、<正見道>とは何でしょうか? 「真理のことば(ダンマ・パダ)第20章 道」を見てみましょう。 277 一切の形成されたものは無常である(諸行無常)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。 278 一切の形成されたものは苦しみである(一切皆苦)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。 279 一切の事物は我ならざるものである(諸法非我)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。 (真理のことば・感興の言葉 中村元訳) このように、「正しい見解をもって、もの・ことを正しく観察すること」が、正見という修行ということができます。 この修行の目的は、「苦から遠ざかり離れること」です。 したがって<正見>の日本語訳としては、<正しい見解>というだけではなく、<正しく見る><正しい見方><正しい観察>も、それぞれ適切な日本語訳ということができるでしょう。 ※正見とは、智慧によって観察すること。 ※正見とは、苦から遠ざかり離れること。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
そのもの、概念もなく、こう思うもなく |
チューラパンタカ 2010/06/16 23:15 |
苦を苦だと気づいてしまえば |
チューラパンタカ 2010/06/16 23:22 |
余談 |
チューラパンタカ 2010/06/16 23:36 |
ヴィパサナーは、大念処経に書かれている修業方法です。 |
析空 2010/06/17 13:11 |
<正見>が、最初に必要なのは、目的がハッキリしている場合と、そうで無い場合では、修行の成果が違うということでもあります。 |
析空 2010/06/17 14:37 |
息を吸うのも吐くのも『苦』ですか?とのご発言に対して |
チューラパンタカ 2010/06/17 22:42 |
全ての組織、それぞれが、かくそれぞれが、呼吸してませんか |
チューラパンタカ 2010/06/17 22:43 |
実践で気づいたことを書いてるから、間違うはずないでしょう |
チューラパンタカ 2010/06/17 22:43 |
実践して気付いたことを、伝えるために、本を読んで、この事か、、、であって |
チューラパンタカ 2010/06/17 23:08 |
私から見ればですが、なんてばからしい事をやってるのかと、そう見えます |
チューラパンタカ 2010/06/17 23:08 |
私が正しくてあなたが間違っているという言葉使いで話すとお互い反発しあうだけだと思います。 |
幸い 2010/06/18 10:35 |
たとえ、正しくても真理であっても、私が正しくてあなたが間違っていると迫れば相手は反発してしまいます。 |
幸い 2010/06/18 11:02 |
幸いさん |
析空 2010/06/18 12:02 |
管理者様。 |
幸い 2010/06/18 13:57 |
>息をする動作ですよ、動作。 |
析空 2010/06/18 22:36 |
人間の場合、『皮膚呼吸』は「無い」と言っていいです。 |
析空 2010/06/19 07:44 |
『はからい』とは、人が「何かをしよう」という思いと、行動です。 |
析空 2010/06/19 19:11 |
返事するのも面倒ですが |
チューラパンタカ 2010/06/19 21:40 |
『面倒臭い』『けしからん |
析空 2010/06/20 08:26 |
全ての細胞は空気を必要としてませんか |
チューラパンタカ 2010/06/20 22:06 |
しゃっくうさん |
六欲天 2010/06/20 22:59 |
イメージを妄想と解釈するのは、個々に於いてそれぞれが解釈していくしかないでしょう。 |
六欲天 2010/06/20 23:18 |
1.最初の問題は、息をすることが『苦』なのか |
析空 2010/06/22 08:29 |
3番目の問題は、『実践で気づいたこと』です。 |
析空 2010/06/22 08:31 |
5番目の問題として、 |
析空 2010/06/22 08:33 |
話は変わりますが、『呼吸』と『瞑想』について、面白い記事を見つけました。 |
析空 2010/06/22 09:14 |
お返事ありがとうございます |
チューラパンタカ 2010/06/22 20:25 |
スマナサーラ長老のこちらの法話が参考になると思います。 |
幸せでありますように 2010/06/23 20:50 |
><正見>は、八正道の一番目に置かれています。八>正道の残りの七つを修行するための基本とされてい>ます。 |
六欲天 2010/06/23 22:57 |
あらら。 |
六欲天 2010/06/27 08:32 |
六欲天さん |
析空 2010/06/27 11:22 |
仕事が忙しいそうで、なによりですね。(*^_^*) |
六欲天 2010/06/27 12:11 |
誤 7衝動 |
六欲天 2010/06/27 12:49 |
『八正道を実践すれば涅槃に至る』という見解が、<正見>です。 |
析空 2010/06/27 19:37 |
1.初めから、<正見>を持てる訳ではなく、 |
六欲天 2010/06/27 21:28 |
『正見を深めることができる』という表現でいいたかったことは最初の<正見>が、100%の正見ではないということです。 |
析空 2010/06/27 23:01 |
>初めから、<正見>を持てる訳ではなく |
六欲天 2010/06/28 02:21 |
100%の正見とはいかなるものか |
六欲天 2010/06/28 02:21 |
100%の正見とは「修行の完成」=「解脱」=「涅槃」です。 |
析空 2010/06/28 06:17 |
>「ある程度の正見」とは、どこからでたものか。 |
析空 2010/06/28 06:27 |
もともとのあなたの説では、「ある」「ない」の表現をされていた。 |
六欲天 2010/06/28 07:45 |
六欲天さん、表現の是正にお付き合いいただき、ありがとうございました。 |
析空 2010/06/28 08:29 |
>初めから「正見の一部」であるとか、 |
六欲天 2010/06/28 18:29 |
こんにちは。 |
しんちゃん 2010/07/12 08:41 |
しんちゃん、こんにちは。 |
析空 2010/07/12 12:40 |
言葉というものは、情報の伝達手段としては、かなりの制約を伴うものです。 |
析空 2010/07/12 12:50 |
析空さん、ご教示ありがとうございました。 |
しんちゃん 2010/07/12 15:04 |
「一切皆苦」については、「一切行苦」と表現する方が適切と考えられます。 |
析空 2010/07/12 21:53 |
析空さん、たびたびの御教示ありがとうございます。 |
しんちゃん 2010/07/13 04:45 |
昨日は、時間が無くて、コメントが途中でした(^^;; |
析空 2010/07/13 09:19 |
析空さん、御教示ありがとうございました。 |
しんちゃん 2010/07/13 10:48 |
仏教では、天地を創造した神のような啓示上の存在は、諸法無我で否定しますね。 |
析空 2010/07/13 17:15 |
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